観劇ブログ(雑記ちゃん)

かなり個人の見解です!

2022年前半の観劇を振り返る④(2022/9)

 

 

 

■9月 花組『巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜』作・演出/生田 大和

→行く予定だった公演が中止になり、千秋楽の配信を鑑賞。

生田君と言えばCASANOVAやシルクロードが大好きな私。この前の宙組公演のシャーロックホームズも素晴らしかっただけに、今作も期待して臨みました、が、正直今一つ刺さりませんでした。主人公リストが報われなかった少年時代を経て一躍時代の寵児となった後も埋められない空虚な心や理想をどう昇華していくかというような話だったのですが、単純に後半のあらすじが穏やか過ぎました。当初の設定ではもっと根無し草感を前面に出していくのかと思いきや…。同じ音楽家主人公ベースでいうと、ウエクミ先生のFFFではこれでもかとドラマティックに物事を描いてなおかつ並行して進めていましたが、リストはただ一人の人間が悩んで、それでも自分の中で解を求めて生きていくだけのあらすじなので、有名芸術家の伝記っぽいわりに特に何も起こらないんですよね。彼が体験するのは少しの恋と逃避だけ。戦いも革命も愛も友情もすべて蚊帳の外。おおっと思わせるショパンやサンドといった魅力的な人物も途中からパタッと存在感を消し、最後出てきても精神世界の人間なので不安定な存在。煌めく冒頭のピアノだんじりのテンションまではすごく良くて、このまま最後までかっ飛ばした方が痛快だったのではないかとさえ思いました。

▼良かった点

・ピアノだんじり

・音くり寿さんの素晴らしい歌声と芝居。最後の歌のパート、本当に感情がのった圧巻の歌声…もっとソロが欲しかった…。

▼個人的に微妙だった点

・音楽家には歌の上手い役者をあてがうべき。トップスターとの持ち味と大きく乖離している。

・登場人物が大劇場向きじゃない。明らかに余ってます。別箱くらいの人数だったら面白かったのかも…余った人を使う演出がなく、少年時代のとことか無駄に初年役者を出して大量に回らせたりして困惑。

・まどかちゃんの紺ドレス。包帯みたいな首のデザインがしっくりきていないせいで顔と肩のバランスが気になってしょうがなかった。あと人妻なのにリボンを頭に何個もつけるのはあんまり…(時代考証的に正しかったらごめんなさい)

・CASANOVAやシルクロードではラップが効いていたが、今作のラップはハマってなかった。コメディ感が一切必要ない革命にダサい歌詞は必要とは思えず。

 

ショー グルーヴ『Fashionable Empire』作・演出/稲葉 太地

→大前提、衣装がびっくりするほどにFashionableじゃなかった。でも珍しい。夏にこの衣装は暑くない?もうそこが気になって、テーマが全然入ってこなかった。あらゆる衣装の謎さを除けば、構成自体は穏やかでシンプルな稲葉先生らしいショー。退団者にあまり優しくないので、ここが超素敵とかエモっと思うポイントがあまりないが、めちゃくちゃ嫌なとこもなく。せっかくのEmpire感も王冠等でもっと出しても良かったのでは?聖乃あすかくんのメイクが冬霞以来激変していて大変かっこよかった。深音ちゃんの代打パートもGOOD。若草さんのエトワールが晴れやかで良かったのが救いかな。大変な期間の公演中止にもかかわらず、いつも前向きにひたむきに頑張るタカラジェンヌの皆さまへ拍手。

 

 

■9月 舞台「漆黒天」

→映画漆黒天も鑑賞済…だったが行く予定だった公演がなくなり急遽配信で鑑賞。

・映画ざっくりあらすじ

記憶喪失の主人公「名無し」が追われていて、逃げながら様々な人に襲われて返り討ちにする中、自分と瓜二つの顔のもう一人の自分「宇内陽之介」に出会う。自分はいったい誰でどんなことをしてきたのかと必死に思い出すが結局わからない。自分(の顔)に恨みを持つ全ての人間を斬った後、「名無し」もしくは「宇内陽之介」の顔をした人間が一人青空を見上げてエンド(双子なので見分けがつかない)

・舞台版ざっくりあらすじ

日陰党がのさばる江戸を守るため、討伐隊が結成され町の道場師範の「宇内陽之介」も召集。しかし日陰党のリーダーは自分の双子の兄弟「旭太郎」であったことがわかり、「宇内陽之介」はどんどん自我を同じ顔の「旭太郎」に引き込まれて狂っていく。同時に「旭太郎」も日の当たる人生への妬み嫉みから「宇内陽之介」の人生の乗っ取りをたくらみ、双方限界まで自我を無くしていき…?

 

・感想

登場人物は9割主人公に切り殺され、舞台版はその前日譚とのこと。何を見ても、でももうこの役は劇場版では斬られるんだよな…と悲しくなりながら見る安定の末満スタイル。舞台版も主演の荒木くんの大健闘。二役を行ったり来たりでめちゃめちゃ忙しい。荒木君のファンはこれぞ推しの真骨頂と拍手喝采だったのでは?私も昔Dボ時代から見てますが、すごい役者になったなと思いました。

個人的な解釈としては、陽の主人公が陰の主人公に成り代わられたというエンドだと思います。長妻・松田凌の長兄エピが絡んでくるかと思いきやここはあっさり。梅津と奥さんの冷静な良い争いが理性的でかえって一番つらかったし、愛している男を取り違えた時の観客の虚しさは半端ないです。梅津、劇場版と違ってこちらはかなりやりがいある役だった!敵はしょうへいへい等主役級を起用している割に活躍が目立たず、足元に縋り付いて泣くシーンの芝居がなければ憤慨してたところでした。ちょっと意外だったのは「旭太郎」も日陰党のリーダーとして、現実的な制圧プランを組んだり、余所の勢力を警戒したり、クレバーなカリスマ性を秘めていたところでしたね。双子という神秘性を上手く使った展開の奇想時代劇ノワールでした。

 

 

ミュージカル『ミス・サイゴン』の感想

■8月 ミュージカル『ミス・サイゴン

→今更ですが考察でもなく、とりとめもない感想です。

 

 

・ざっくりあらすじ(結末のネタバレ有)

【一幕】1970年代のベトナム戦争末期、戦災孤児の少女キムは陥落直前のサイゴンでエンジニアが経営するキャバレーで働くことに。キムの勤務初日に、戦友ジョンからけしかけられて厭世気味のアメリカ兵クリスと出会い、一夜を過ごして二人はお互い強く思いあいながら生きていこうとする。キムを追ってきた昔の許嫁に会って追い払ったりし、二人の結びつきは強くなるが、束の間の幸せな日々を即終了。アメリカ兵救出のヘリコプターによってクリスは帰国。置いて行かれたキムはクリスとの息子タムを出産。一人で育てていく中で、エンジニアの手引きによって現れた元許嫁を撃ち殺して逃亡する。

【二幕】クリスはアメリカに帰国した後、エレンと結婚するが、キムを想い悪夢にうなされる日々が続いていた。一方、エンジニアと共にバンコクに逃れたキムはタムを育てながら、いつの日かクリスが迎えに来てくれることを信じて懸命に生きていた。ベトナムのブイドイを援助する活動をしているジョンからタムの存在を知らされたクリスは急いでエレンと共にバンコクに向かうが、手違いでキムは先にエレンと出会ってしまう。クリスに妻が存在することを知ったキムは、愛するタムのために自ら命を絶つのであった。

 

→感想

東山×昆×海宝×仙名回を観劇。

改めて帝劇で演じるにふさわしいスケールの舞台。冒頭のヘリコプターの轟音、アジアのミステリアスなメロディーが絡み合って徐々に観客を支配していく凄いオープニング。終始心震えるドラマティックさ、各場面の臨場感に目を瞠るばかり。歌唱がすごいのは語るに及ばず、長きにわたり続けられてきた作品ならではの思い切った演出(ともすれば下品、または差別的ではありますが、まさしく意味があるから継承されているものなのです)も見どころです。

戦争のせい、と一括りにしてしまうにはあまりにも一人一人の生命を軽視することになる大変重いテーマ。俳優たちもそれをとても痛感して勉強して望んでいることは重々承知ですが、こればかりは男女、またはキムかエレンかを主軸で見るかによって大きく印象が異なる作品かと思います。

※しかし…私は仙名ファン!!エレン贔屓で徹頭徹尾観劇していたため、他の方とはちょっと違った感想になるかもしれないです…。(クリスファンごめんなさい)

 

・クリスとのロマンス…?

冒頭からクリスは戦争に加担する自らの業務に疑問と焦燥を抱き、サイゴンに来た意味を模索中(殆どの軍人はそのストレスをキャバレーで発散しているわけです)。

勤務初日のキャバレーで無理やりストレスまみれのGIに手荒く扱われかけていたキムは、助けてくれた優しいクリス(とはいえ、一夜を共にしている…)を好きになり(当然だよね)、クリスも「自分より酷い境遇の少女」を愛し助けられる=これがベトナム戦争の意味!自分の使命!とばかりに急転直下で熱い恋に落ちます。帰国後も戦争において引き金を引いた代償にも苦しんでいた彼は最初から少しおかしかった。キムが結婚式を嬉々として始めた場面でも、手を清めたり、装束の脱着…結婚式を眺めるクリスのニコニコとした笑顔の中にベトナムの文化や儀式への無知さが出ていて、土足のアメリカ人とのずれをロマンスで上書きしてくる感じがもう既に不穏な感じでした。

・トゥイこそが白馬の王子様

元許嫁トゥイははっきり言って悪役ではなく、彼こそが白馬の王子様的な優しさを併せ持った男だと思いました。「探していた大切な人に再会した」という芝居をしているようで(出典:トゥイ役の方の配信)、キムを脅かす者として描かれながらもどこかここまで使命感なしに愛してくれているのはクリスじゃなくてこの人じゃない?と思わざるを得ない。の、に、キムはクリスとの子供をわざわざ見せびらかして挑発、そして激昂して銃を向ける偉くなったトゥイ(当然だよね)この辺りは上手いことやったら逆に玉の輿になれそうだったのに。クリスじゃなくて他の客との子って言ったら殺されなかったのでは…?でもとにかくこの時点でもキムはとっても若く…あの貧困の中でそんなに立ち回れるわけもなく、トゥイがベトコンであることがアメリカ兵よりに憎かったようだ。

・大体ジョンのせい

クリスとキムが出会ったのもジョンのせい(ブイドイが増えたのもこういう奴のせい…)強制帰国の憂き目にあったのもジョンのせい。折角会ったキムにエレンの事を言えなかったのもジョン。クリスに子供の存在を知らせて着いてきたのに段取りミスってるのもジョン。後述するけどエレンが「母親と子供は引き離すべきじゃない」と議論している最中で「正気かよ?」みたいな口挟んでくるのもジョン。何故なら彼はブイドイには父親を与えるべきだという思想があるから。二幕にブイドイをごみくず(罪の証拠)と呼ぶ衝撃的な歌唱シーンがあります。ミュージカルなので素敵なスーツで他人事のように朗々と歌い上げる様には若干怒りを覚えるほど、え?というシーン。これって本気で改心したってことなのか、軍人が悪い意味で暇つぶしに罪滅ぼしかねてやってるのか最後までわからなくてモヤっとしました。(お前の子はいないのか?)

・本題、エレンが情け深すぎる

クリスはアメリカに帰国してエレンと結婚するまでキムを失ったショック(助けられなかった、自分の使命を果たせなかった?というのはクリスに対して意地悪過ぎだろうか)で失語症?になったり。悪夢にうなされてキムの名前を叫び、エレンは誰の名前なのか不安に思いますが、深い思いやりでそれは告げずにいる日々。(ここのゆきちゃんの歌声、とてもプリンセス…)タムの存在を知ってクリスとエレンはバンコクへ。気が急いてホテルまで来たキムは先にエレンと出会ってしまいますが、エレンは一瞬驚いたもののあなたがキムね、優しく迎え入れます。妻だと告げ、これからのことを一緒に考えようと真心で接しますが、息ができないと泣き叫ぶキムには聞こえていません。キムは「子供をアメリカに連れて帰ってほしい」と頼みますが、エレンは「母親と子供は引き離すべきじゃない」と諭します。勿論エレンは母子に十分な資金提供や教育機会や居住環境すべてを支援するつもりです。それは本当に母子を思ってのことで、キムの犯罪歴を知らないからこそ申し出たもの…。ハリケーンのごとく帰り去ったキムを思い、エレンは「私がしっかりしなきゃ…クリスはキムのところへ行ってもいい」と歌うのです…(ゆきちゃんの混乱しながらも自分の思いよりもまず相手のことを思う気持ちが先に出たような、感情の飛び出し方が宝塚時代とは違う歌唱法で驚きます…)戻ってきたクリスを叱りますが、椅子に座ったクリスは弱弱しく泣きながら妻はエレン一人だと(暗に今の生活は捨てられない)と言うのです。あんなに激しい冒頭のクリスとキムのロマンスを見た後、このやり取りは最早介護ですよ…。そしてあの厳かなキムとの結婚式はクリスにとって本当によくわからないものだったんだという二重の虚しさ…。かっこよくて甘いマスクの海宝くんだから美しいゆきちゃんが愛し守り抜く存在として成立していましたが…もう悲しさしかないです…クリスよ、エレンの事を本当に愛しているのかと詰め寄りたい…。そこでじゃあキムと子供をどうするか議論になりますが、子を認知して教育を受けさせよう、でも母子はバンコクへ置いていこうとなります。最後にキムが自らを撃った時、エレンは残された子供(偽のミッキーの洋服を着ています、夢の国の象徴…胸が張り裂けそう)を抱き上げて、そのまま上を見上げます。聡明な彼女の背中には御簾の中でキムに何が起きたか、クリスの心がどうなったかももう関係なく、この残された子供を育て上げるという強い意志と未来がありました。エレンは自分で考えて行動し、決断できる自由で強い女性です…可哀想な少女ではない…。

・キムの生きがいの変遷

最初の生きる意味はクリスとの恋愛、夫という存在でしたが、アメリカに連れていってくれる(二人の幸せな生活)という夢が壊れます。そこから、クリスとの子供タム+いつか助けに来てくれるクリスというのが生きる意味に変わりますが、許嫁を撃ち殺した(+両親との約束を破った)ことは陰惨とした呪いとして生活に蔓延り、既に極限状態だったところにエレンという妻の存在(=自分との結婚をなきものにされた)で脳天をかち割られたような衝撃で元には戻れなくなります。生きがいはタムしかなくなり、文字通り命をあげようというENDになります。タムにとっては、ジョンによって最終的に父親をもらう代わりに母親を失いました。似ていない顔の母親とどうやって暮らしていくのか、それは本当に幸せなのか、わからない。ただ、こんな不幸な家族を無くすために戦争は愚かしいものだと、たった一つの悲劇で理解できる、それがこの演劇の素晴らしさにあるなと思います。

 

2022年前半の観劇を振り返る③(2022/6~8)

 

 

■6月 DisGOONie Presents Vol.11 舞台「Little Fandango」 東京公演

→東京前楽観劇。7ORDERが出演させていただいた過去のDisGOONie公演(サイズ、デカダン)がとても面白く、めちゃくちゃ熱くて泣ける演劇だったので多ステしていた。の、だが…今回とても楽しみにしていたのが良くなかったのか…刺さらなかったというのが正直な感想。ただ、元々新しいDisGOONie公演(時間が短い、DisGOONieなのに!!)という触れ込みもあったので、今までの作風とは変えたんだなとは理解した。マクスウェルにほんのり漂うイマジナリーフレンドっぽい謎も、本を破るくだりのせいでいまいち確信に至らなかった。誰かあれ解明してくれないかなあ。

▼良かった点

・殺陣がすごい。間合いの遠いガンアクションもなんなくこなす役者の技量に脱帽。特にながつ&萩ちゃんの跳躍力や、瀬戸君らの華のある動きには目を奪われた。瀬戸君はほしいところにピタッとハマる芝居を入れ込んでくるところが流石。この辺は西田さん流石です!と感服。

・ながつピートの精神力(多くは語るまい)。

山口大地さんのモーションはレベルが違う。

・タンストールの松田さんが全ての芝居のリズムを整えてくださっていた。

・ローゼンバーグとジーニーの関係!これには従前のDisGOONie魂を感じた!これを見に来た!!

▼個人的に微妙だった点

・出だしの空気感が酷い。つまらない独り芝居への会場の冷ややかな空気に対して「そろそろこの空気にも慣れたぞ~」とヘンリーの役者がぼそっと言ってきたのにもえ?っと驚いた。西田さん、これは何の時間なんですか?

・センターに来る人を迎え入れる踊り、見飽きた。サイズであんなにかっこよかったダンサー演出はどこに…。

・間接的に実の母を手にかけた母の姉に対して「ありがとう!」で終わる結末。※そもそも吉川さんは渡辺さんと遜色なく美しいので、お前じゃなくて町一番の娼婦はこいつ!と言われてもピンとこない。いつものように田中良子さんが姉を演じていたら、姉妹の差異がどっと出て、もっと話は違ったかもしれない!

・パット・ギャレットが同じ商売をしている姉妹の片方を愛しておいて、さらに姉に冷たい仕打ちを取るのは(妹の足抜け費用しか考えてないのも含め)、今後姉とは義理の家族になる気すらもないのが透けて見えて辛かった。動機は分かるけど熱量が不明のまま最後のシーンまで進む。校條君、この役の機微を時系列に整理するのはさぞ大変だっただろう。

・一番イラっとしたのが、死闘の最中に訪れた束の間の夜半にマカーティ萩ちゃんが泣きながら日記に思いの丈を綴るシーン。遅かった…こんなに大切なものに気付かずに生きてきた…みたいに(うろ覚え)自分の生き方に後悔して号泣していて、思わず「孤独に戦ってきたマカーティの中にタンストールさんの灯した小さな火が、共に生死を共にした仲間を大切なものとして認識できたのか!!!」と感動して泣きかけたら、大切なもの=ホアニータだった!?う~ん、こればかりは全然理解も共感もできなかった。残された子のために生きないし、カウボーイの美学は独特(諦め)

 

 

■7月 星組公演 ミュージカル・エトワール『めぐり会いは再び next generation-真夜中の依頼人(ミッドナイト・ガールフレンド)-』作・演出/小柳 奈穂子

→5回観劇。何も考えずに楽しめる。過去作品を見ていない新規の友達を連れて行ったら(一応説明したものの)前半はよくわからない箇所もあったらしいが、このスピード感ある展開の前では少しの置いてきぼり感はご愛敬。有村先生の素敵な衣装とライトな小柳ワールドをひたすら笑顔で受け止められる星組にしては珍しくハッピーな作品(最初で最後になるなよ…)。

推しの綺城ひか理さまは作中唯一の悪役かつ黒幕。ぱっぱらハッピーな中で辛い役回りだが、自己の承認欲求の拗らせ方も愛する息子のためにという背景とも繋がったときが切なかった。序盤からその節はあって、王子選定環境を必要以上に整えまくったり、息子が大人になった時に軽視されないようにと先回りするシングルファーザーの一方通行さもカラフルな世界観の中でかえって愛しかった。(王が彼に娘を預けなかったことにも色々考察の余地もあり、、)ラストで柚美さん演じるマダム・グラファイスのセリフ…過ちに再生の機会を与えてくれる演出がありがたかった…ここ、護送されるオンブルを最後まで悔しい表情で見つめるさきっぽの芝居が光る…。良い家臣とかわいい息子ロナン君があれだけ尊敬と親愛を寄せているのだからアエテルニタス(永久)・ルクス(ひかり)・オンブルも捨てたもんじゃない!それを体現して見せるあかちゃんの芝居が好き!!

 

レビュー・エスパーニャ『Gran Cantante(グラン カンタンテ)!!』作・演出/藤井 大介

サンホセで燃え尽きた…。

ニンジンは本当につまらない場面だと呆れていたが年配の方は喜んでいたようなのでジェネギャのようだ…宝塚はたくさんの年代のファンで成り立っているが、特に年代が上の方が比率は高めなので仕方ないことでした(反省)

ボニータ以降は礼さんととにもかくにも美穂様ショー。ふわっとした若手群場面が多く、雪組FFの若手ダンスのニューファイアーやファシネの若手渡りとも違って、本当にふわっとした人数が緩く踊って歌って歩くみたいな謎なシーンが多かった。MVPはボニータの娘役。一人ずつ見てもどれも最高のダンスとフリーアーム、ビジュアルも最高!!!

とにかくダイスケなのに構成がとても落ち着いている。全ツで真の星組版になるとどういう風になるんだろう?

 

 

■7月 音楽劇クラウディア

→観劇予定の公演が中止になり、急遽大野×門山×廣瀬×平間回の配信を観る。

地球ゴージャスの主題はまっすぐ伝わってきた。とにかく歌はうまいし、ロミジュリベースも受け入れやすい。サザンの名曲が彩り(涙のキッスだけ笑った)、小ネタで笑わせる個所もあり、ダンスも豪快。平間の龍は繊細ながら異形のものとしての動きが抜群で、よく考えられていた。

ま、泣くほど感動する展開ではないし、女性は産む機械カルチャー(勿論これが過剰であるほど際立つ逆の考え方という演出はわかっていながら)がうっすら不愉快なのだが、そうまでして訴えたい反戦というテーマがある、ということを受け入れられないこともない(が…もう少し削ってもいいのではないかと)。

 

 

■8月 雪組公演 Midsummer Spectacular『ODYSSEY(オデッセイ)-The Age of Discovery-』作・演出/野口 幸作

→よくこれだけのテーマを引っ張ってきて最終的に宝塚に着港させたなとまずは野口君に敬意。彼は去年刊行物等でバレエにハマったと言っていたが、まさにその知見が生かされたようで色んな種類の音楽場面が展開されていた。勿論オリジナルバージョンの正月公演ならば、かずきそら・あやな・諏訪っちがいたので相当な厚みだったのだろうが、あがた・まのみやが大健闘。全ての場面がお洒落で美しく品がありながらも新しく、入れ替わりで違う曲がバンバン出てくる某少年倶楽部のような構成。

一つだけ、おやおやと思ったのはとにかく女装が多い。女装のクオリティ自体は良かったものの、正月からキャストも変えたんだからせめて中国はひまりでアラビアは希和ちゃんでいきましょうよ!(まのみーもかせきょーはも上手いのでその辺の文句はない)もう少し路線娘役に出番があればと思うばかりだが、踊りも歌も抜群のきららうみちゃんが見れて大満足。やっぱり雪組は美形揃い…!

 

■8月 ミュージカル『ミス・サイゴン

→別記事参照。

sumire8k.hatenablog.com

宝塚宙組「カルト・ワイン」の考察について

■6月 ミュージカル・プレイ『カルト・ワイン』作・演出/栗田 優香

→初日観劇。最前列というラッキー席!

遮るものが何もない中宙組の熱演を浴びた。関西の方は中止になってしまったようなので、あらすじをざっくり書き起こしからスタート。こんないい舞台が中止になるなんて…なんて勿体ないんだ…。

 

 

・ざっくりあらすじ(ネタバレあり)

一幕:世界一治安の悪いホンジュラスでマラスの下っ端構成員として生きている身寄りのないシエロ(ずん)が、大事な友達フリオ(もえこ)とその家族を守るためにアメリカへ密入国を企てる。途中でフリオの父を失うも、アメリカに着いたシエロたちはペット用品業の裏稼業で財を成した元マラスのチャポ(ルイマキセ)・一つ星レストランのシェフ一家と出会う。一つ星レストランの令嬢アマンダ(さくら)はシエロの才能に興味を持ち、フリオはアマンダに惚れるが、シエロはどっちつかず。フリオ妹の治療費を稼ぐため、シエロは自らの天才的な味覚を利用して偽造ワイン生産による金儲けをチャポの下で始める。一方、反発するフリオは一つ星レストランで地道に働いていく。

二幕:チャポの支援で新進気鋭のミステリアスな資産家カミロ・ブランコとして世に偽りの姿でデビューしたシエロは、偽造ワインをどんどん市場へ流通させていく。ゴールデンハンマー社の女社長のミラ(五峰様)の協力を得て大成功かと思いきや、段々ずさんになったワインの管理のせいで一部の顧客やミラに偽造がばれていく。婚約一歩手前のフリオ・アマンダとも久々に再会し、偽りの姿がばれていく過程でフリオの密告に遭い、シエロは警察に捕まる。

 

 

・家族の話

冒頭のホンジュラスで、シエロが税金滞納しているフリオ一家を殺してこいと上から命令を受け、フリオたちに銃を向ける。フリオ父は顔面蒼白で来たであろうシエロに豆のスープを差し出し、シエロは家族の一員だよと声をかけてくれる。フリオたちを撃たなければ自分が始末されるので遂に銃を向けても、それでシエロの身が助かるならそれでもいい、だって家族だからと撃つことを許してくれる姿に一緒にアメリカへ逃げることにする。フリオ父は道中マラスの入れ墨のせいで善行をしても人に嫌がられるシエロを最後まで守り、お守りのペンダントをくれるが、フリオ父はモニカが列車で移動中に窃盗グループに襲われた時に犯人を躊躇いなく撃ち、その時に殺されてしまう。

シエロとしては、自分の身勝手さにフリオの家族を巻き込んでしまったということが根底にある。フリオ父は最期家族のためなら何でもする(できる)、ということを体現して見せ、辛く苦しい旅に連れ出した体の弱いモニカはアメリカで身分証もなく悪化した病で苦しんでいる。となるとシエロにはもう自分を差し出す以外に選択肢がないが、最後までフリオの家族へ恩を返すストーリーが主軸になく、シエロの心情吐露ソング等のお涙頂戴が全くないのがすごい。あくまでそれが起因であり、物語で魅せてくるのはその結果こういう風にしたというところだけなのだ。

物語の最後にフリオの密告を見越してペンダントを渡し、なおかつその隠し財産の情報を入れておき、これを出所日に持ってきて!そしたら仲直りだ!と刑務所のガラス越しにニコッと笑うシエロ…。実際刑務所に入らなければカミロはどうしようもなくなるまでに使い捨てられてしまうところだったから引き際はこれでよかったわけですが、フリオの罪悪感を和らげ、司法取引を信じた愚かなまでの実直さ(フリオはもしチャポの情報を言ったら消されるということが予想できない。実際シエロ自体はチャポに多額の投資をしてもらった恩義もある)が損なわれないためのトリック…ペンダントはあくまでキーで再会の動機付けこそがシエロなりの愛だなと感じられる良い演出!モニカが独り立ちした今、シエロにとってフリオが最後に守るべき家族だったいう爽やかで明るいエンドが最高。マラスに身内を殺されたフリオとしては「人を虐げ、騙す」は絶対に認められないことで、ちょっとうざったいまでのその徹底した「善でありたい心」(完全な善ではないのがポイント)が、シエロと社会とのつながりの最後の絆になっていたのがとても良かった。

終盤に出てきた裁判でワイナリーの主人が「作ったワインは自分の子供のような存在だから、それを使って自分の虚栄心の満たす道具に使うな!」と怒鳴るシーンで、あれだけ賢く立ち回ってきたシエロが父という存在に何も言えなくなるところも良かった。これだけはシエロも言い返せない唯一の罪だったのも、まるで映画みたいな展開である。

 

・価値の話

▼(起)フリオ父に、若者の未来と自分の価値の話をされる。

▼(承)アメリカで移民はIDがなくできる仕事がなく、日雇い労働者のたまり場でシエロは「いくらでもいいから仕事するよ!」と声をかけて他の労働者から「自分を安売りして、労働賃金の相場を下げるな!」と詰られてしまう。

▼(転)稀少で高価なワインは誰も飲んだことがないから味で判別できずに偽造しやすいので、偽造ワインはコレクターの信用を担保に価格が跳ね上がる。しかし、コレクターの身なり・車・コネクション・経歴、これらは少しの真実を大きな嘘でコーティングすれば、人の価値と信用は簡単に固められていく。

▼(結)法廷で俺という人間と才能の価値は人に見定められず、他でもなく俺が決めるんだ!(実際偽造ワインがばれたのは味ではなく、ラベルと生産個数管理の問題)と啖呵を切る。

という展開になっていくので、自分には価値がないと思っているシエロが様々な問題を通して、自分には価値があるし、周りにそれを判断されないとまで言い切れるようになったところに大きなテーマが感じ取れる。

 

・感想

とにかくセリフにも歌詞にも、ワイン絡みの面白い暗喩が多く、栗田先生のクレバーさに頭が下がる。

一例だけど、

▼マラスの入れ墨、ヴィンテージワインのラベル→レッテル・パッケージで人は価値を判断する。中身の分からないものの価値を決めつける時に出てくる。

▼ワイン→海水(飲めば乾く)、女性、消えるもの

あらすじだけざくっと書くと暗い話に思われるかもしれないけど、終始一貫明るい!!!とにかく空気がカラッとしてる。何故ならシエロが特に何も病まないから!!!いつも窮地で笑顔のかっこよくて賢いシエロ。ちょこっとフリオが闇落ちするだけ(酒に酔って一晩ぐらいね)

演出も列車、法廷、レストラン、ワインセラー、オークション会場と、とにかく場面が目まぐるしく変わるのに装置はあまり動かないのがすごい。ほんとに脚本の妙だと思う。

栗田先生、天才です。

2022年前半の観劇を振り返る②(2022/4~6)

最近見た公演の感想をつらつらとメモです。

(「冬霞の巴里」と「カルト・ワイン」の感想のみ別記事)

普段あまり感想を書かないので、これを機に。

 

▼前提

・ちなみに推しの遍歴は、紅ゆずる→仙名彩世を追い、FC会員。現役ジェンヌ様は綺城ひか理・咲乃深音・野々花ひまりをメインに応援しております(5組全部見ています)

・他ジャンルは7ORDERメインに見ています。

 

 

■4月 花組公演 Fantasmagorie『冬霞(ふゆがすみ)の巴里』作・演出/指田 珠子

→別記事参照。

sumire8k.hatenablog.com

 

■4月 アクダマドライブ

→配信のみ。ビジュアル素晴らしく、7ORDER長妻ことながつ目当てに見たが、相変わらず植木演出はかっこいい!ダンサーはお馴染みの方々。アニメはざっくり予習したものの、後半まで見切れず。前半の近未来の世界観を十二分に伝える構成と疾走感は良かった。後半の子役が出てきてからの展開が長く、一部キャストのウィッグと衣装がハマってなくてそれが気になって仕方なかった。最後のショー、ヒプみたいに音楽メインの舞台なら効果的だけど、こういうので同じ曲を何回もやるのはどうなんだろう。観劇してたら音と光がもっと感じられて面白かったのかも!

 

 

■4月 宙組公演 ミュージカル『NEVER SAY GOODBYE』-ある愛の軌跡-作・演出/小池 修一郎 作曲/フランク・ワイルドホーン

→2回観劇。実際の世界情勢・直面する困難の中でひたむきに未来へ駆けていく宙組全員の強い気持ちと実力を感じた公演。曲の多さにもかかわらず、いつ観ても安定したまかたん・キキちゃんは素晴らしい…。出だしのハリウッドへ乗り込むかのちゃんのゴージャスな着こなしや振る舞いがかっこいい。お気に入りはみねりのエレンが銀橋での歌の途中で瞳の水分量が変えるところ…まかたんの「世界中の男が君にひれ伏す」まではまだ気丈なんですが「ぼくは出会ってしまった 運命の人に」から涙がじわっと湧いてきて…。あまりの悔しさにもらい泣きしてしまった。またオリンピアーダのメンバーで新人公演主演していないキヨの頑張りに拍手、それからるいまきせ、りっつ、マタドールの全員歌うま集団に唸った。特にまなせみら君のソロパートはとんでもない…。こってぃ、相変わらず前列観客の釣り方にときめきました!!!

ところでトップの退団公演再演で仕方ないのは分かっていながらも、あまりにも娘役に役がない…出番はあるけどその他大勢すぎ。というか最近の宙組は娘役に厳しい演目が立て続いていませんか?他の組より大量に退団して上級生娘役がいなくなるのも納得の作品続き。次のハイローも男社会の話でしょうからやっぱりその点においては期待できず。

 

 

■5月 雪組 大江戸スクランブル『夢介千両みやげ』脚本・演出/石田 昌也

→2回観劇。原作読了済み。原作も咲きわにあてはめて読むと相当萌えるが、やはり娯楽小説あるあるのお色気シーンが多いので、宝塚版でここをごっそりカットでスムーズに。あやなの悪七、夢白さんのお糸ちゃんあたりが複数人物のエピソードを混ぜ込んだキャラになっていて、うまくまとまった展開になっていた。劇団側から明るい和物というオーダーで石田先生が作ったとのことで、貧乏な暮らしが多かった雪組が千両大盤振る舞いして大きな事件もない江戸を駆け抜けていくのはめちゃくちゃ爽快。実際に声は出せないけどオープニングから日本一!と咲ちゃんたちに声援を送れるようなリズムとエンディングのお手を拝借で拍子で終わるのはかなり良かったのではないだろうか。ゆきのちゃんと愛すみれちゃんがそれぞれの同期相手に大立ち回りしてるのは憎い演出!ほかにも絶世の美女とも違わないこのみさん、強かなきららうみちゃん、おしとやかすぎるブーケちゃん等、娘役の出番がたくさんあったのもうれしかった!ほんまほコンビのあーさひまりの伊勢屋夫婦の結婚・子供を見れたのも個人的にはGOOD。

ショー・スプレンディッド『Sensational!』作・演出/中村 一徳

→何度も上演した名作ミュージックレボリューションを彷彿とさせるギラギラ中村Bショー!加入したかずきそらのおかげでスターが整理され、FFのあーさ衣装替えまで全員でつなぐみたいな構成じゃなくなったので一安心。

とにかくさまざまな音楽が結集して、捨てシーンがなくてかなり好きなショー。帽子があっても色分けでスターが見つけやすいOPでは銀橋男役の歌い継ぎの背面の本舞台で夢白さんが率いて、ひまりが率いて、ゆきののサイドにきららうみちゃん・はおりんで出てくるという雪娘のスター性大爆発構成に痺れた。全体的に影コーラスではなく舞台上で歌う娘役が多かった(ありすひめか、りなくる、105-107期の4人)のも満足度を高めた。第二章はかわいいひまりがフラミンゴに扮し、娘役を引き連れてあがたと踊りまくる。色彩と振付が新しい!その流れでJAZZ再び!ニューヨークのビートと混ざり、踊りまくる。男役が咲ちゃんの背面のパネルに待機する場面は必見。第四章はとにっかく黒い風あすくん&きららうみちゃんがせり上がりで爆踊りしながら銀橋を疾走するのが痛快!(あーさ目線で楽しむのが王道とはわかりながら)あすくん歌がうますぎる…。第五章もオリエンタルな衣装の裾が難しい拍で翻る様がきれい。ひまり一人銀橋かっこよかった!!!あやなさよならソングの後は宇宙へ。かずきそらのキレキレダンスでオーロラ集団を出迎えてブーケちゃんのソロやあーさときららうみちゃん・きわちゃんとはおりんという謎の組み合わせでのポーズに目を奪われているうちにあっという間にフィナーレへ。夢白さんが懐かしい衣装で銀橋をわたるのを何故かかりあんがサポート。芸達者かつ美男美女100期のまのみや・きららうみちゃん(きほちゃんから受け継がれた仙名彩世イヤリングしてます、要チェック!きほちゃんはDSの黄色いドレスの時に着用してましたね。ゆきちゃんはポーの一族の白ドレスやBGのOPでもしてたかと思います)・はおりんで出迎えて、ロケット&きわちゃん男役率いて歌う場面へ。変わり衣装を着こなすきわちゃん頼もしい~!

フィナーレは珍しくあーさゆきの・そらきららペアで踊ってて目が足りない!!咲ちゃんは夢白さん・ひまりと踊ってましたが、立ち位置的には夢白さんがいつも一歩リードですね。。咲きわデュエダンの興奮のままエンディング。やっぱりBショーは最高。

 

 

 

■5月 月組公演 ドラマティック・ショースペース『Rain on Neptune』作・演出/谷 貴矢

→急遽観劇。前半はタカヤワールドのSF!世相も交えながら、アンフィの独特な非現実感を以って地球に別れを告げて宇宙へ。出島に続き、またもヒロインと完全にはくっつかない?ので、恋が雨を嵐に変えたかは正直よくわかんなかったけど、小綺麗にまとめてて良かった。タカヤのセットの組み方(大きな模型を組み替える)や衣装の色彩感覚(作品によって原色でまとめたり、外したりするカラフルさ)がとても好き!

物語終わったら雨が上がり、ちなつのソロOver the rainbowでスタート。久々にスタンダードなデュエダンの後はムーンライト伝説でしめる宇宙メドレー!月色スーツ男役の迷路を抜けて巡り会うれいことくらげが熱い!!!とにかくりりの歌がうますぎる。コブラだけ何回も見たい!

とってつけたようなコンサートテーマソングとTシャツもなくて、ヅカの舞浜公演の中では一番好み。舞浜アンフィシアターの機構や客席の使い方としては最も妥当で洗練されているのは、さすが若手作家ならではの感覚…(舞浜は花星と皆勤賞で観劇なのです)

 

■5月 雪組 大江戸スクランブル『夢介千両みやげ』新人公演

→上級生ジェンヌのお近くで観るという幸運の中、なんとか集中して観劇!(終わった後咲ちゃん泣いてた…)演出は生駒先生。あがた、流石の貫禄。もう言うことなし。華純さん、ムラのパンフレットの文言からして相当頭が良さそう。芝居も理知的だが、場慣れしたあがた相手に舞台度胸がすごい!それでいて歌もいいし、自分ならではのお銀を賢く創り上げてるところに好感!個人的に顔立ちに何故か若手俳優の某橋本へいへい君のようなかわいさを感じる。かわいいのでほんまほを見返そうと思う。

かせきょーの深川マンボは上手かったが、普通の芝居のところはあまりにもあーさのための役過ぎて難しかったようで…。一禾あおくんの歌と台詞回しが小気味いい。岡っ引きの霧乃あさとくんの芝居がかなり芸達者、今後注目してみたい。

 

 

■6月 舞台「HELI-X Ⅲ~レディ・スピランセス~」 脚本:毛利亘宏 × 脚色・演出:西森英行

→最前列で観劇。遮るものが何もない中で細かい表情が見れて嬉しかった!このカンパニーの殺陣は毎度とんでもない凄さ。全知全能な平野オシリスに怯えながら、杉江イモータルを仲間に、再度玉ちゃんゼロの元へと立ち上がったところで終わった前作から、今作はまさかの時空を超えて超人類彩凪翔くん&タソペアが登場。性別がなく、精神も肉体も人間を超越した存在として描かれ、なぎしょーたち宝塚男役の見慣れない芝居の異物感が、ほんものの異質な存在として君臨していたのはかなり面白かった!スカートを外した後の歩き方一つとってもかっこいい。ただそれによってオシリスやクライのミステリアスさや強さが一気に揺らいで小物みたいになっちゃったのが、狙っていただろうけどショック。挙句ボスキャラっぽい平野オシリスは愉快犯認定!

今回はアダムとイブ状態のアガタとゼロを助けるか助けないかって話で、なんとなく場所柄のせいかすべての敵を引き付けて一つの目的の為に孤軍奮闘する姿が某メサイアの某サリュートを思い起こさせる演出…。ゆるやかに超人類へ置き換わっていったなら良かったのだろうが、旧人類を一気に虐殺しちゃったので、ゼロが犠牲となって回避エンド。(昔ウィル・スミスの「アイ・アム・レジェンド」って映画のオチが、主人公はゾンビからしたらマイナーな存在で、ゾンビでいっぱいの世界にもう人間=旧人類は過去の者で敵なんだという解釈だったと思うんですが、ヘリックス世界では旧人類の支配する世界維持こそが善!というスタンス。しかしパラレルワールドに分岐するから未来の超人類は無事らしい。なぎしょーが護衛をあっさり諦めるわけだ)漸く3作品目にしてシュンスイ周りでぐるっと動き、シデンの成長が見れたのが良かった!

メサイアが好きだったのでスタッフ陣を応援する気持ちでぼんやりこの舞台シリーズを観劇しているのだが、性別反転技術受けると過去のトラウマが起因となって超能力発現という設定に対していくらでもドラマティックな展開が描けそうだが、1作品目も2作品目も終始アガタとゼロの距離は縮まらないまま同じような問答を毎回繰り返し、裏切った裏切ってないともめまくるのをどうにもならない気持ちで眺めていた。平野&杉江の演技派キャストの投入でだいぶリズムが良くなったが、やはりアガタ含めキャストが「俺は…」で終わるシーンばかりで…もちろん演出のメインどころが罪と罰、赦しみたいなのはわかるんだが…アガタとゼロの恋愛やカイとゼロの恋愛でもない、螺旋機関のバディや仲間でもない、誰かへの熱い恩義もない、世界への大義・信念も(さほど)ない、のが色々と惜しい。というか別売りの小説本がめちゃくちゃめちゃくちゃ面白いんですよ(全員買ってくれ!!!)。万人に受けない内容だけど、性故の苦しみは勿論、贖罪やトラウマや実験の詳細も色々書かれていて、このエッセンスが何故サブキャラクターを動かす展開につながらないのか!?ともどかしい…。(そもそも本作で取り扱う内容自体が揚げ足取られて炎上しそうな界隈なので、その辺をきれいにカットしたのがこの作品の平坦さの根底に通じるということはわかっています)アスモデウスの「愛」エピソードぐらいはもうちょっと入れ込んでも良かったのでは…。でも愛という感情を「放っておけない」や「あいつのところに行きたい」という言葉ばかりで、肝心の会って何がしたいのかというところに行きつかなかったり、お互い「カイの時もアガタの時も愛している」とさっくり言葉にしないから(というかこんなセリフがないし、「大切」で終わらすのがその辺にあえて踏み入らない感じ。でも片方が性別転換して子供産んで二人で育てる未来が…??)演じる側は今後もさぞや大変だろう…。

今回ラストはアガタの後ろにイモータル(西森さんの小説読んだら判官びいき状態になること請け合い)が控え、続編を感じさせる幕引き。

正直もうちょっとチケットが事前に売れ切るビジュアル設定や物語展開にしませんか?と投書したいが、オリジナル作品として単なるBLっぽい構想にしたくないという気概はめちゃくちゃ感じるからどういうエンドになるのか見守りたく、今後も観劇予定!

 

 

■6月 SUZUHO MAKAZE SPECIAL RECITAL@TOKYO GARDEN THEATER『FLY WITH ME(フライ ウィズ ミー)』Produced by TEAM GENESIS from LDH JAPAN 構成・演出/野口 幸作

→初日観劇。脳みそが追い付かないぐらいまかたんとメンバーがかっこよかった。語彙がないがもうコンサートなのでこれぐらいの感想で良いんだと思う。せり上がってきた機長ルックのまかたんを囲む美男美女…。コントも面白かったし、ハイローも素敵だったのでうまくまとめた野口君に感謝しかない。LDH楽曲やコンサートの基礎知識があればもっと楽しめただろうな!あと「東京ガーデンシアター」、とんでもない洒落た構造でジェラシックワールドとかに出てくるようなアミューズメントシアターの様相、ニューヨークとかの劇場っぽくもあって非日常とはこのことかという感じ!東京駅からタクシーで行ったのですが大体20~25分弱でした、ご参考まで。

 

■6月 ミュージカル・プレイ『カルト・ワイン』作・演出/栗田 優香

→別記事参照。

sumire8k.hatenablog.com

2022年前半の観劇を振り返る①(2022/1~3)

最近見た公演の感想をつらつらとメモ。(「冬霞の巴里」の感想のみ別記事)

普段あまり感想を書かないので、これを機に書いていきます~!

 

▼前提

・ちなみに推しの遍歴は、紅ゆずる→仙名彩世を追い、FC会員。現役ジェンヌ様は綺城ひか理さん・咲乃深音さん・野々花ひまりさんをメインに応援しております(5組全部見ています)

・他ジャンルは7ORDERメインに見ています。

 

 

■1月 花組公演 忠臣蔵ファンタジー『元禄バロックロック』 作・演出/谷 貴矢

→公演ストップ前に奇跡的に一回観劇。愛する仙名様退団後は諸々の新体制が受け入れられずに疎遠になっていましたが、せっかくまどかが来てくれたのだからとコルドバの神奈川公演に行って歓喜の上復帰。まどかありがとう。タカヤの脚本は軽快ながらSF特有の主人公やヒロインの繰り返しによって生まれるカルマの背負い方!再会を誓う過去シーンのラブロマンス要素もわかりやすくエモくて…昨今のまどマギや新海作品のようで面白かった。ただ、娘役の役が名前は付けたものの極端にセリフや見せ場が少なかったのが残念。ウエクミのFLYINGSAPAが賛否両論状態だったように、年配のファンが多いヅカではもうちょっと忠臣蔵要素を入れてあげた方がよかったのかな…。とはいえ今後のタカヤに大注目。

レビュー・アニバーサリー『The Fascination(ザ ファシネイション)!』-花組誕生100周年 そして未来へ- 作・演出/中村 一徳

→中村Bらしさは少なく、懐かしい名曲を小分けにしたグループで歌い継ぐショー。この形式、たくさん下級生を覚えられて良かった。コロナ後は若手場面が各組で増えた印象ですが、雪組FFの若手ダンスのニューファイアーは全然わからなかったからこっちのが良いです。まどかがダンスの花組に戻してくれたおかげで各所の振り付けの難易度がアップ。あれもこれもオマージュが感じられ、往年のファンはさぞや楽しかったことでしょう。特に映像で見るより酒とバラの日々は現場で観劇すると没入感あり。ひとこの軍服も良く、音くりは貫禄の歌声。花組はひりゅーくん以下のタレント力ある男役の育成が急務ですね。。娘役も銀橋で歌うには早いのではという感じの子も…。地味に100周年にしては予算が少なく、トップコンビ以外の衣装がシンプルで…生徒自身が花という感じなのか…まあ照明に映えてかわいらしいベビーピンクで見た目は綺麗。羽根は景気よく4つ見られるかなと思ったけど…二番手不在でした。

そして推しの咲乃深音ちゃん!!とてつもなく花娘らしいエトワールに感涙したのは勿論、どのシーンも素晴らしかった…。結局ありがとう中村B。

☆個人的な咲乃深音ちゃんメモ

・OP ひとこ銀橋の時の上手側前列

酒とバラの日々 登場センターの上手側隣(その後全体的に上手)

・ファシネフラワー センターから下手側の斜め後ろ(大抵下手)、路線が銀橋に出た後最前列センター隣

・情熱の花 四人娘にいる!ゆうなみ氏を糸月さんと挟んで歌い踊る!(途中ゆうなみ氏の腰を抱く!かっこいい…)

・ララフローラ 真ん中から下手へ(可憐です…)

・心の翼 最下手側あたりの最前列!

・階段娘役群舞 センター最上段(東宝ではちょっと位置が違った?)、降りたらセンターブロック、2列目センターあり!ここ美しい長い手足がエレガントでめちゃ感動した…最下手最前列辺で終わりへ

・銀橋に登場時は、下手側は音くり~略~しょみちゃん・ひなりり・糸月さん・深音ちゃん!(しょみちゃんの髪型で探しやすい)

 

 

■1月 TRUMPシリーズ ミュージカル『ヴェラキッカ』

→初日観劇。TRUMPシリーズはあらかた見ているがハロプロさん関連のものはノータッチ。いつものTRUMPシリーズの叫びたくなるような地獄絵図とは異なる展開で、なるほどこれが人間愛奇劇…。悲しいけど、皆が自分の生き方を望むままに選んだ結末に安心できた。屋敷から離れたところに妙なさわやかさを覚えたほど。二回見ると一層面白い(辛い)作り。

末満さんは美弥ちゃんの過去作品をよく予習されていたようで、見せ方が素晴らしかった…出てくるたびに衣装チェンジしてて(言葉通り)見応えあるし着こなしがパーフェクト!美弥ちゃんの奇跡の顔面力とスタイルであらゆる人を虜にする展開に全く嘘がない。フィナーレのあのファンサービスの極致のような決め台詞…公演時間を通して知らぬ間に自分も理想の美弥ちゃんを心に住まわせていたのか!?と痺れた!あゆっちの歌も素晴らしく、おふたりともタカラジェンヌの力と華を存分に発揮されていて最高。あと本当に久々Leadの敬多を見た…随分前にベイビーランニンワイルド大好きだったな〜とあのイメージのまま見てたら、なんとも芝居がいい!独特な声質も相まって、何故かかわいさのある硬質な魅力が良かった…細長い手足のスタイルも素敵でまた見たい役者の一人になった。

 

 

■1月 ミュージカル『INTO THE WOODS』

→お声かけいただき観劇したものの、このクオリティで13500円(日生劇場)は納得できず。だいもん初舞台×ソンドハイムで観客側が期待大状態だった事を差し引いても主要キャストの実力に差がありすぎた。私が今まで観劇した舞台の中で最も不協和音が鳴り響いていたかもしれない。当然多くの人が厳しい批評を投げかけている現状。歌唱力の微妙だったキャストの問題だけではなく(別に手を抜いているとは思わなかったし)、キャスティングした制作側に疑問を抱くし、どういうものが完成形イメージでオファーしたのか気になる。開幕前は「普通ではない」ことを売りにしていたが、どこらへんが他と違うのか全然わからなかった。普通にミュージカル慣れしている観客からしたら、同時並行する展開も、役に年齢がそぐわないキャストが演じることも「よくある手法」だし。当然かの有名なソンドハイムの早口長文の歌も知っていて観劇に望んでいるので、そこも別に目新しくもないので、多分違うジャンルの分野から俳優を結集させたということが売りだったのかな?世界観が日生劇場のレトロ感に合っていたのはよかった。とにかくだいもんの喜怒哀楽芝居が全て良く、超人的な歌声は非の打ち所がないことだけが救いだった。

 

 

■2月 月組 ミュージカル・キネマ『今夜、ロマンス劇場で』 脚本・演出/小柳 奈穂子

→待ち望んだれいこちゃんトップ!とにかく何十年かに一度のド美形がセンターに立つという凄まじさ。月組チケットが急に取れなくなった(!)ので配信のみ。ヅカに落とし込んでも何の遜色もない脚本と月組メンバーの芝居力が頼もしい。お互いに触れないという清らかさが宝塚の演目にぴったり。次が血も涙もない展開のギャッツビーなのでこれくらいほのぼのとした物語でスタートできて良かった(新規客もかなり取り込みやすかったが、次回作は案内できない…)

ジャズ・オマージュ『FULL SWING!』 作・演出/三木 章雄

→久方ぶりの三木先生。ファンシーガイの諸々からかなり不安もあったが、ちなつ・あり・おだの強力な路線の安定感が小綺麗かつ手堅い演目に仕立てていた印象。この三人の、れいこちゃんを無理なく舞台に立たせる働きに拍手。上級生もかっこいい。とかくくらげの上手いダンス力も要所要所でうまいこと使われていて、JAZZの難しい拍も最後まで楽しめた。みちるの素敵な化粧が月組に広まると嬉しい。

 

■2月 ミュージカル「The View Upstairs -君が見た、あの日-」

→煌びやかな顔面ラメのポスターと壮ちゃんのインタビュー内容に感銘を受けてチケットを取ってしまったので、ほぼ予習せず…ポスターのような世界観ではなくて最初驚いたけど(特に東山さん…あの使い方でいいの!?)これは自分の落ち度です、反省。人権や性的指向について令和は過渡期といえる中、なかなか意義深い作品。タイムスリップ要素の不和が度々差し込まれることで、二人の間に悪い夢のような鬱々とした不安がたちはだかり、後半は超越した恋愛というよりは禅問答みたいだった。今を生きる私たちがいかにして積まれた過去の上に立っているのか突きつけられて、より他人事ではなくなった構造。壮ちゃん適役、よく作りこまれてる。小関ちゃんはテニミュやハンサム時代から変わらないピュアな歌声とからだの大きさが役とアンバランスでよく言えばミステリアス、微妙な言い方にはなるけど歌声は浮いてる、それが夢のように儚くて美しいのかも。岡さんはマグダラぶりに拝見して大感動の素晴らしい姿勢と歌声…ジョークも一流。フレディのしょごたん、活力ある歌声と足の先まで意識していたのが伝わった。そのほかのみなさまも安定感ある芝居と技術でした。

 

 

■2月 星組公演 ミュージカル・コメディ『ザ・ジェントル・ライアー ~英国的、紳士と淑女のゲーム~』 原作/オスカー・ワイルド 脚本・演出/田渕 大輔

→KAATで観劇。推しのあかちゃん(仙名様退団後の推し)が二番手役。誠実な役で本人の持ち味に大変合っていたと思います!とかくくすっと笑えるコミカルと少しのシリアスを行ったり来たりで楽しい作品。せおさん・ほのか・あかちゃんの皆似たような温度の優しく温かい芝居で心和む。うたちゃんはキャリアのわりに安定感でびっくり、泣くときの表情が「ウワアアアア」って感じでとにかく面白い。突然のキャスト変更にも関わらず完全に間に合わせてきた紫りらちゃんに拍手でした。(退団前の作品となり、勿論正規の役のみのりさん見てみたかった気持ちは多大にあったが…)

 

■2月 星組公演グランド・ロマンス『王家に捧ぐ歌』-オペラ「アイーダ」より- 脚本・演出/木村 信司

→行くはずだった公演が中止に…配信だけになって悲しみの中鑑賞。謎のモノクロ衣装、暗い照明、簡素なセットを吹き飛ばすれいまこの歌唱力はさすがの一言。くらっちも安定感ある芝居と歌(超かっこよかった~~)で王女の悲哀に納得感があった。ひっとんはごつい髪形に華奢な体躯で頑張っていた。オペラでも観劇したことあるけど、このアイーダというストーリー自体がそもそも好きではないのでこれ以上感想が書けない。

 

■3月 音楽劇『夜来香ラプソディ』

→初日観劇。河原さん演出はもう間違いないです。シアターコクーンのセットも生バンドも日常とクラブとコンサートに対応できる組み方でかなり良い。

オープニングから面白い仕掛けがいくつかあります、男装のかっこいい壮さん(最初若手イケメン俳優かと思った)と仙名彩世様階段降りもあり。本編は網タイツで階段に潜むゆきちゃんのとてつもない妖しい美声(このメロディラインはご自身で考えたとのこと…すごすぎ)で魔都上海に誘われる場面から始まり、否が応でもテンション爆上げ!ご時世的に戦時中の話を扱うのはさぞや大変だったことでしょうが、今をときめくTV俳優へスターダム爆走中の松下洸平くんが繊細だけど熱い芸術家を思い切りよく演じているし、手堅い俳優ばかりの布陣で安心して見ていられます。松下くん歌がとにかく抜群にうっまい…木下さんとのデュエットはファントムのビストロさながらに「え!こんなに歌上手いの!??」と動揺しました(※ミュージシャン笑)が、その後は目立って歌うところはなかった、もっと聞かせてほしいよ~!!

クラブでは登場から大きな蝶飾りを頭に二個つけても顔面が負けてないねねちゃんに感服。その後もチャイナドレスを中心に様々な衣装を着こなすゆきちゃん・壮さん・ねねちゃんが続々…とんでもない美の饗宴でコンサートシーンでもそれぞれの得意分野での活躍が!ゆきちゃんは兼役でコンサートでは煌びやかな白いドレスに羽根で大御所歌手「白光(バイ・クァン)」もやります、本当にトップ娘役時代を思い出すありがたいシーンでねねちゃんとも絡むのでさながらタカスぺ状態。壮さんもコンサートでは男装からシックなチャイナドレスに変身し、愛する人への秘めた哀愁を漂わせながらの歌で魅せてくれます。

本題、ゆきちゃん演じるリュバ・グリューネッツはロシア人(実在のモデル有)ながら、木下さん演じる李香蘭と昔声楽で繋がった縁があり、今は共産党員で李香蘭を妨害し…という難しい立ち位置の役。幼き日に木下さんと二人でロシア民謡の「赤いサラファン」歌ったシーン、めちゃくちゃ感動…チョコミントっぽい衣装もかわいい(衣装は外部ポーとかの生澤先生)。李香蘭にとって音楽はあらゆる垣根を超えると信じられた最初の希望だと思います。すっきりとした顔立ちで安定感のある李香蘭が芯をもって生きていくのに対比して、男たちがブレながら一生懸命に生き方を模索する対比が面白く、そんな李香蘭がリュバだけには感情むき出しで執着しているのも良かったですね。とんでもなくレベルの高い俳優の舞台でした。早くブルーレイ発売してください…。

 

宝塚花組「冬霞の巴里」の考察について

最近配信及び千秋楽の観劇が出来た「冬霞の巴里」の考察について、備忘として記録を残します!

指田先生は、上田先生と似ている作風(あくまで似ているだけ、当然同じではないです)でとても好みでした。星組の「龍の宮物語」も映像で観ましたが、先生はファンから主役へ求められている姿を存分に出させる演出と異形の者の描き方への潔さが上手いですね。新たな一面というよりは、その人の一番得意分野で愛おしい姿になるように緻密に計算されているかと思います。先生、ひとこちゃん×復讐にかわいい弟キャラを足すというとんでもない萌えを生み出してくれてありがとうございます!!

今回特に気になったオクターヴの記憶の霞みと謎の多いアンブルをメインに、個人的な解釈をメモします。※当方は元々エリーニュスのティーシポネーの咲乃深音ちゃんのファンなので感想が偏っているのは悪しからず。

 

 

 

【ざっくりあらすじ

パリで記者になったオクターヴ(25)、歌手の姉のアンブルと共に、6歳の時に殺された父親の仇を打つため、義父(叔父)と母親への復讐を目指す。

 

【考察】

・三という数字の対比について

エリーニュス三女神と、イネス・アンブル・オクターヴ達三姉弟は対(キャストの男女比と罪)。諸説あるが、ティーシポネーは殺戮・メガイラは嫉妬・アレクトーは道徳、とそれぞれの罪を犯した者と対峙する女神だと仮定して話を進めます。

また、オーギュスト事件の犯人もクロエ・ギョーム・ブノアと三人ですね。最後に撃ちあいになるのも、オクターヴ・ギョーム・ヴァランタンと三人です。

 

・民衆に混ざった女神エリーニュスの動き

冒頭等々、ティーシポネーはあまり市民と踊らず、アレクトーとメガイラは混ざって踊ります。これはパリ市民の中で行き交う人々に道徳違反や嫉妬等はあるが、殺意まではいかないということかなと思います。チャリティーの場面、メガイラは貴族の格好でお喋りに興じ(慈善は身分の差によっては偽善、人々の中で互いへの嫉妬が生まれている、)、アレクトーはカメラのレンズを通して人々を見ている(道徳的観点で人々を監視?)、ティーシポネーは給仕係、飲み物が盆から取られるのを待っている(人々が自ら殺意を選び取る?)…他にもクラブや食卓に現れる時、オクターヴが嫉妬しているときはメガイラが背もたれに手をつけていたり、様々な負の感情の発生時に女神の誰かが側にいます。笑顔の女神が狙いを定めた人間の感情の揺れに対して、剣呑な目つきに変わる芝居の流れがとても自然でした。

一幕はティーシポネーの不思議な歌声(素晴らしい)によって始まり、終わりはガラス屋根を歩くティーシポネーの恐ろしい歌声(素晴らしい)と赤い布(血染め?)によって街が覆われます。

二幕は親殺しを司るエリ―ニュスの本分として、オクターヴを追い立てるように三女神が常に監視しています。親殺しを諦めたオクターヴは冬霞の中で最後エリ―ニュスから解放されますが、ティーシポネーの二人を寄せるようなマイムでオクターヴとアンブルの手がお互いの腰に回されて舞台から去ります。殺戮によって始まって結ばれた絆は、恋よりも強固で永遠に続くということでしょうか…。それにしても咲乃深音ちゃんの歌声もダンスも本当に素晴らしかったですね…。

 

 

・家族のバックボーンについて

ティーシポネーの歌声「悲しみの始まりはどこ?罪の始まりはどこ?」で示す通り、オクターヴは父親の死がすべての不幸の始まりだと思っていましたが、実のところの不幸の元はオーギュストの悪行でした。

①クロエ

夫を亡くしたクロエがイネスとアンブルを連れて、裕福なオーギュストと再婚。→女癖の悪い夫は使用人との子、オクターヴを家に連れてくる。→イネスとの「さまざまな問題」、とりわけ貴族との結婚を強行させようとしてイネス自殺。→嘆き怒り狂ったクロエはオーギュストの排除を画策し、同じようにオーギュストに苦しむ義弟ギョーム(とブノア)を味方に。

②ギョーム

オーギュストは百貨店を強か経営していて、アーケード街の個人商店は次々と廃業に追いやられ、ますます巴里では経済格差が生まれる。→市民は貧困の一途をたどり、アーケード街の住民の中では恐らくアナーキストになった者も…。→ギョームは諸々兄の強引な事案の後始末をやっていたが、自身の失敗(劇場爆破事件でのアナーキストの誤認逮捕、恐らくこの中にヴァランタンの親がいた)をネタに更に強請られ、警察の正義と身内の不始末の狭間で苦しんでいる。

また、クロエもオーギュストも、オーギュストを排除した後ずっと血塗れのオーギュストの幻影を通して罪悪感に囚われている事が窺えます。

 

・主人公オクターヴくんの記憶が霞んでいる問題

本題です。この作品のオクターヴの回想シーンを本当にあったこと捉えた場合はオクターヴにとってオーギュストは良い親だけどほかの人にはそんなこともなかったね…となり、人は多面体だよね~と解釈になりますね。ここで終わっちゃうと結構浅い物語なのではないかと。

ここから個人的な解釈ですが、作中のオクターヴの記憶はほぼ全て偽りで塗り固めた理想の家族姿=妄想だと捉えながら観劇しました。冬霞のタイトルは天候だけでなく記憶が霞んでいることや人によって物事の捉え方が曖昧であることを表しているのかなと思います。衣装のマーブル模様で何かが混ざっているような気持ち悪さが常に現れていますし…(衣装自体は最高にかっこいいです、有村先生最高!)

観客側にはオクターヴとアンブル以外はオーギュストを非難する人ばかりなのに、オクターヴには良い父親?女を取っ替え引っ替えしていて、会ってた時間も少ないのに?と疑問が増えていく演出からしても…更にオクターヴは復讐のために生きてる故に視野の狭さが浮き彫りになり、家族に対して一方的な見方をしてきたことが如実に窺えます(ただこれはアンブルが無条件に彼の偏見を肯定し続けた弊害でもあり…)

例えば、父親からの「母と姉には秘密だよ?」のフレーズ。現実は孤独なオクターヴを憐れんだギョームからお菓子を買ってもらった時の話(大人のギョームの回想なのでこれは現実にあった)ですが、自分の生きる意味の復讐を確固するものにするため度々思い出しています。多分その時ギョームに焼き栗を買ってもらったのかな。(幻想の記憶の中ではオーギュストに置き換わり、アンブルもいた)これ自分がしてもらって一番嬉しかったことだからエルミーヌにも焼き栗を与えているのだとしたら…。幻想の誕生日会も席に座っているのはギョーム…。

かたやこのギョーム、とてもやさしい男で、エリ―ニュスが見守る緊迫したサーベルの勝負にヒヤリとさせられながらもオクターヴを信じて最後まで付き合ってくれるのもギョームです(この後ブノアとクロエはオーギュストの血を恐ろしがっていたが、その場にギョームはいなかった)

姉弟の下宿にアナーキストがいると知って身辺を探らせ、シルヴァンの騒動と怪我の具合を食卓で指摘した時、オクターヴたちは身を固くしていたけど、実はギョームは彼らの身を案じていたのだとしたら…ヴァランタンによって遮られたけど話が続いていたのならもっと違う展開になっていたかもしれません。また、武器を持ったヴァランタンには強い態度で向かっていきましたが、背後からオクターヴに襲われたときは心から傷付いて全くの無抵抗になっていました。

クロエはイネスを奪われてオクターヴを押しつけられたた怒りがオーギュストを殺したことを上回っていたけれども(最後もオクターヴに断罪しなさいと許可を出す強さ)が、ギョームにとってはオーギュストは兄弟でオクターヴは甥。本当にオクターヴへの罪悪感を持ち、家族として思いやっていました(冒頭の食卓の切れないナイフ話しかり…)クロエはギョームの境遇や自分たち家族への愛情をありがたく、またなんと大事に思っていたのかと最後の抱擁を見て感じました。

オクターヴは結局父親に「仇を取ってくれ」と願われているように自分で暗示をかけており、それがアイデンティティーでした。だから最後に追い詰められたオクターヴは「父さん、誰でもいい!誰か俺に命令してくれ…!」と請い願ってしまいます。しかもその時また復讐の連鎖を生みだして、ミッシェルを引き摺り込もうとしていましたが、ミッシェルは少しもそんな考えはなく…これもまたギョームの性格を継いだ優しい息子…。

ということで話はそれましたが、白い服で出てきた回想シーンはほぼすべてオクターヴにとっての自分のミッションを正当化させるために作り上げた偽りの記憶(ドレスが一緒だったり、部分的には事実も含む感じ)でしょう。

イネスが死んだことを親の命令で秘匿されていたせいで少しずつ記憶が歪み、やがて父親が死んだ現場を見たショックでイネスの存在を完全に忘れ、自分の存在価値のために復讐を選び、同時に根拠となる都合のいい父親の記憶を確立させ始めたというように見えます。

 

・一番難しい?アンブルというミステリアスな人間について

オーギュストが使用人との子供を勝手に作ってクロエに養育するよう預けたことで、当然オクターヴの存在が気に入らないクロエはオクターヴにやさしくせず、親からの愛情を受けれずにじたばたするオクターヴを彼の出自も知った上で哀れに思ったアンブルは世界で自分だけが彼の味方であるというようなアイデンティティーを確立させていきます。また同時に愛するオクターヴに愛情を注がないクロエの存在は彼女にとって敵とみなされ、彼女が嫌がるようにオーギュストと会話をしたり言うことを聞いたり、一種の当てつけのつもりだったのではないかと。母親に愛されたいオクターヴの気持ちへの嫉妬もあり、ここからはずっと女VS女ですね。

(※姉のイネスの死によってオーギュストを何故敵として憎まなかったのが作中で描かれないのが難しい…しかし後からギョームの回想でイネスの事件後のアンブルはぼーっとしていてオクターヴと一瞬疎遠になったとオクターヴの口から語られており、ショックを受けていたことは間違いなく…)

オクターヴの唯一の肉親だからということなのか?、はたまたオクターヴの為になると本気で信じていたのか、ここでアンブルはイネスの仇のオーギュストの命令を聞いて、「少しの歪み」としてオクターヴにイネスの事を少しずつ忘れるように仕向けます。ただ直後オーギュストの死と大人三人の会話を盗み聞いたことでアンブルは、オクターヴからすれば唯一の肉親を奪った仇の女の娘ということに。この正しい構図(クロエたちはオクターヴと血がつながっていない)をオクターヴに知られたら、もう同じ価値観を共有できなくなると思って焦ったアンブルは徐々にオクターヴを復讐の道へ後押しすべく少しずつ優しい父親の記憶の歪みを増やしていきます。

ただオーギュストの死の背景を探るというフェーズで引き下がれないぐらいにはオクターヴの精神と記憶は壊れており、結局ブノアへの復讐までいってしまい、「あと二人を殺せばすべて終わる?」に頷いてしまったわけですが…彼が罪を犯すほどに味方はアンブルしかいなくなり、アンブルは本当の意味で彼を手に入れることができたのですね。まさにこれを表わしていたのがセイレーンの歌でしょうね。共にいたい一心で暗い海へ引きずり込み…結果身を滅ぼす…

とはいえ、二人は作中で恋愛関係にはなりませんでしたが、崩れ去った幻想から抜けた後、お互いの存在だけがお互いを助けられるピュアな関係であることだけを認識して終わります。

 

娘を育てるためか社交界で地位を確立させ、数々の男と浮名を流したクロエの姿を通して、アンブルにとって恋愛は始まってすぐ終わるものに見えている。私はあんな風にはならないという態度を取り、オクターヴとずっと一緒にいるには「家族」でいることが一番だと強く思いこんでいるのでしょう。

またクロエはアンブルの気持ちに気付き、オーギュストの血が流れるオクターヴと共にいる事が不満だが、仕事を持って家を出た大人だからもう好きにしなさいとばかりに突き放したのはクロエなりの二人への赦しだったのかなとも思います。(見た目上は姉弟なので…)

 

【感想】

長々書きましたが、特に好きだった演出。

・危うげな魅力のヴァランタンとシルヴァン

元が真面目故に起こるシルヴァンの暴走をコントロールしたいヴァランタンは冒頭から監視している演技が上手かったですね。背中の黒子しかり、ヴァランタンと追随するシルヴァンの関係は…シルヴァンの尊敬を超えた執着やヴァランタンの憐れみを超えた後悔等、何か二人だけで抱えている秘密が多そうな余白ある演技が良いです。親の復讐ってのはそんなに偉いのか?が自分にも刺さっていく構図が見事です…。

劇場でのシルヴァンの爆破テロはヴァランタンに初心を思い出させるためにやったのか…。同時にギョームには誤認逮捕事件を思い出させ、家族であるオクターヴが怪我をしたことで今度は自分が被害側になってしまい、心配の分と同じだけの贖罪の気持ちも湧き上がるという精神の追い詰められ方をしているところに事件の化身であるヴァランタンが現れる…なかなかの地獄です。

 

・あまりに善良なカップル、ミッシェルとエルミーヌ

ミッシェルは自棄になったオクターヴに酷い言葉で詰られても、兄の心を慮ることのできない自分が悪い、それでもどうか無力でも側にいることを許してほしいと兄を傷付けないように心を砕くところが特に泣けました(その優しさがオクターヴを更に惨めにさせる…)

エルミーヌも、アンブルが母親に人前で攻撃的な物言いをした時もわざと好意的に解釈したように振る舞い(本当に言葉通りに受け取ったのはフェロー男爵夫人)、オクターヴへやましいことがないからこそ堂々と散歩。陽気に振り回して街を歩くように見せかけ、実際は元気のないオクターヴを家族として心配しているからこその行動なのも良いです。オクターヴがエルミーヌに惹かれたのではなく、恵まれたエルミーヌの存在を通して、いたかもしれない幸福で余裕のある自分に焦がれていた演出が上手いです。

これ普通の宝塚作品だったら、エルミーヌがヒロインになって、ミッシェルに嫌がらせをするために彼女にちょっかいをかけて、怒ったミッシェルと決闘なんて筋書きになりそうですが…そういうのが無かったのがあまりにも偉い展開。 エルミーヌはちっともオクターヴに恋心がなく、ミッシェルも全くエルミーヌのオクターヴへ行動に嫉妬しません。それはミッシェルが愚鈍でもなく、二人が情け深いだけなのがスパっとわかるセリフ回し(女に好かれる女の描き方!)が良かったですね。二人はアンブルのステージを見る時も恋人なのにオクターヴを真ん中にして常に両側から冗談を言って和まそうとしたり本当にいい人です。

ちなみに最後に銃を向けたヴァランタンへ、丸腰で突進していったミッシェルの自己犠牲精神にも泣けた…偉い…家賃もありがとう…。

 

・復讐の連鎖の止め方

最後シャルルの中にヴァランタンたちを侮辱する者への復讐の炎が燃えそうになった時、貧しくて余裕のないはずの人々が彼に寄り添ったことで鎮火し、エルミーヌの持ってきたガレットの小さなフェーブが希望を灯したように思える演出がとても良かったです。それの何が悪いの!とエルミーヌが主張した時に、軽口をたたいた市民サイドに怒りを覚えず(明日を生きるために強くて自立していて偉いとも思った)に、でもエルミーヌありがとうという気持ちが起こる…すぐエルミーヌを交えて団らんも始まるし…本当に不思議な気持ちの良さです。

 

最後になりましたが、夏にDVD発売も決定しましたね!

またそちらを見て色々考察を深めたいと思います!!指田先生の次回作に期待大です!!!