観劇ブログ(雑記ちゃん)

かなり個人の見解です!

ミュージカル『ミス・サイゴン』の感想

■8月 ミュージカル『ミス・サイゴン

→今更ですが考察でもなく、とりとめもない感想です。

 

 

・ざっくりあらすじ(結末のネタバレ有)

【一幕】1970年代のベトナム戦争末期、戦災孤児の少女キムは陥落直前のサイゴンでエンジニアが経営するキャバレーで働くことに。キムの勤務初日に、戦友ジョンからけしかけられて厭世気味のアメリカ兵クリスと出会い、一夜を過ごして二人はお互い強く思いあいながら生きていこうとする。キムを追ってきた昔の許嫁に会って追い払ったりし、二人の結びつきは強くなるが、束の間の幸せな日々を即終了。アメリカ兵救出のヘリコプターによってクリスは帰国。置いて行かれたキムはクリスとの息子タムを出産。一人で育てていく中で、エンジニアの手引きによって現れた元許嫁を撃ち殺して逃亡する。

【二幕】クリスはアメリカに帰国した後、エレンと結婚するが、キムを想い悪夢にうなされる日々が続いていた。一方、エンジニアと共にバンコクに逃れたキムはタムを育てながら、いつの日かクリスが迎えに来てくれることを信じて懸命に生きていた。ベトナムのブイドイを援助する活動をしているジョンからタムの存在を知らされたクリスは急いでエレンと共にバンコクに向かうが、手違いでキムは先にエレンと出会ってしまう。クリスに妻が存在することを知ったキムは、愛するタムのために自ら命を絶つのであった。

 

→感想

東山×昆×海宝×仙名回を観劇。

改めて帝劇で演じるにふさわしいスケールの舞台。冒頭のヘリコプターの轟音、アジアのミステリアスなメロディーが絡み合って徐々に観客を支配していく凄いオープニング。終始心震えるドラマティックさ、各場面の臨場感に目を瞠るばかり。歌唱がすごいのは語るに及ばず、長きにわたり続けられてきた作品ならではの思い切った演出(ともすれば下品、または差別的ではありますが、まさしく意味があるから継承されているものなのです)も見どころです。

戦争のせい、と一括りにしてしまうにはあまりにも一人一人の生命を軽視することになる大変重いテーマ。俳優たちもそれをとても痛感して勉強して望んでいることは重々承知ですが、こればかりは男女、またはキムかエレンかを主軸で見るかによって大きく印象が異なる作品かと思います。

※しかし…私は仙名ファン!!エレン贔屓で徹頭徹尾観劇していたため、他の方とはちょっと違った感想になるかもしれないです…。(クリスファンごめんなさい)

 

・クリスとのロマンス…?

冒頭からクリスは戦争に加担する自らの業務に疑問と焦燥を抱き、サイゴンに来た意味を模索中(殆どの軍人はそのストレスをキャバレーで発散しているわけです)。

勤務初日のキャバレーで無理やりストレスまみれのGIに手荒く扱われかけていたキムは、助けてくれた優しいクリス(とはいえ、一夜を共にしている…)を好きになり(当然だよね)、クリスも「自分より酷い境遇の少女」を愛し助けられる=これがベトナム戦争の意味!自分の使命!とばかりに急転直下で熱い恋に落ちます。帰国後も戦争において引き金を引いた代償にも苦しんでいた彼は最初から少しおかしかった。キムが結婚式を嬉々として始めた場面でも、手を清めたり、装束の脱着…結婚式を眺めるクリスのニコニコとした笑顔の中にベトナムの文化や儀式への無知さが出ていて、土足のアメリカ人とのずれをロマンスで上書きしてくる感じがもう既に不穏な感じでした。

・トゥイこそが白馬の王子様

元許嫁トゥイははっきり言って悪役ではなく、彼こそが白馬の王子様的な優しさを併せ持った男だと思いました。「探していた大切な人に再会した」という芝居をしているようで(出典:トゥイ役の方の配信)、キムを脅かす者として描かれながらもどこかここまで使命感なしに愛してくれているのはクリスじゃなくてこの人じゃない?と思わざるを得ない。の、に、キムはクリスとの子供をわざわざ見せびらかして挑発、そして激昂して銃を向ける偉くなったトゥイ(当然だよね)この辺りは上手いことやったら逆に玉の輿になれそうだったのに。クリスじゃなくて他の客との子って言ったら殺されなかったのでは…?でもとにかくこの時点でもキムはとっても若く…あの貧困の中でそんなに立ち回れるわけもなく、トゥイがベトコンであることがアメリカ兵よりに憎かったようだ。

・大体ジョンのせい

クリスとキムが出会ったのもジョンのせい(ブイドイが増えたのもこういう奴のせい…)強制帰国の憂き目にあったのもジョンのせい。折角会ったキムにエレンの事を言えなかったのもジョン。クリスに子供の存在を知らせて着いてきたのに段取りミスってるのもジョン。後述するけどエレンが「母親と子供は引き離すべきじゃない」と議論している最中で「正気かよ?」みたいな口挟んでくるのもジョン。何故なら彼はブイドイには父親を与えるべきだという思想があるから。二幕にブイドイをごみくず(罪の証拠)と呼ぶ衝撃的な歌唱シーンがあります。ミュージカルなので素敵なスーツで他人事のように朗々と歌い上げる様には若干怒りを覚えるほど、え?というシーン。これって本気で改心したってことなのか、軍人が悪い意味で暇つぶしに罪滅ぼしかねてやってるのか最後までわからなくてモヤっとしました。(お前の子はいないのか?)

・本題、エレンが情け深すぎる

クリスはアメリカに帰国してエレンと結婚するまでキムを失ったショック(助けられなかった、自分の使命を果たせなかった?というのはクリスに対して意地悪過ぎだろうか)で失語症?になったり。悪夢にうなされてキムの名前を叫び、エレンは誰の名前なのか不安に思いますが、深い思いやりでそれは告げずにいる日々。(ここのゆきちゃんの歌声、とてもプリンセス…)タムの存在を知ってクリスとエレンはバンコクへ。気が急いてホテルまで来たキムは先にエレンと出会ってしまいますが、エレンは一瞬驚いたもののあなたがキムね、優しく迎え入れます。妻だと告げ、これからのことを一緒に考えようと真心で接しますが、息ができないと泣き叫ぶキムには聞こえていません。キムは「子供をアメリカに連れて帰ってほしい」と頼みますが、エレンは「母親と子供は引き離すべきじゃない」と諭します。勿論エレンは母子に十分な資金提供や教育機会や居住環境すべてを支援するつもりです。それは本当に母子を思ってのことで、キムの犯罪歴を知らないからこそ申し出たもの…。ハリケーンのごとく帰り去ったキムを思い、エレンは「私がしっかりしなきゃ…クリスはキムのところへ行ってもいい」と歌うのです…(ゆきちゃんの混乱しながらも自分の思いよりもまず相手のことを思う気持ちが先に出たような、感情の飛び出し方が宝塚時代とは違う歌唱法で驚きます…)戻ってきたクリスを叱りますが、椅子に座ったクリスは弱弱しく泣きながら妻はエレン一人だと(暗に今の生活は捨てられない)と言うのです。あんなに激しい冒頭のクリスとキムのロマンスを見た後、このやり取りは最早介護ですよ…。そしてあの厳かなキムとの結婚式はクリスにとって本当によくわからないものだったんだという二重の虚しさ…。かっこよくて甘いマスクの海宝くんだから美しいゆきちゃんが愛し守り抜く存在として成立していましたが…もう悲しさしかないです…クリスよ、エレンの事を本当に愛しているのかと詰め寄りたい…。そこでじゃあキムと子供をどうするか議論になりますが、子を認知して教育を受けさせよう、でも母子はバンコクへ置いていこうとなります。最後にキムが自らを撃った時、エレンは残された子供(偽のミッキーの洋服を着ています、夢の国の象徴…胸が張り裂けそう)を抱き上げて、そのまま上を見上げます。聡明な彼女の背中には御簾の中でキムに何が起きたか、クリスの心がどうなったかももう関係なく、この残された子供を育て上げるという強い意志と未来がありました。エレンは自分で考えて行動し、決断できる自由で強い女性です…可哀想な少女ではない…。

・キムの生きがいの変遷

最初の生きる意味はクリスとの恋愛、夫という存在でしたが、アメリカに連れていってくれる(二人の幸せな生活)という夢が壊れます。そこから、クリスとの子供タム+いつか助けに来てくれるクリスというのが生きる意味に変わりますが、許嫁を撃ち殺した(+両親との約束を破った)ことは陰惨とした呪いとして生活に蔓延り、既に極限状態だったところにエレンという妻の存在(=自分との結婚をなきものにされた)で脳天をかち割られたような衝撃で元には戻れなくなります。生きがいはタムしかなくなり、文字通り命をあげようというENDになります。タムにとっては、ジョンによって最終的に父親をもらう代わりに母親を失いました。似ていない顔の母親とどうやって暮らしていくのか、それは本当に幸せなのか、わからない。ただ、こんな不幸な家族を無くすために戦争は愚かしいものだと、たった一つの悲劇で理解できる、それがこの演劇の素晴らしさにあるなと思います。